第三十話
フェリクシアの処置塔へ、割れた天窓の雨と、緑のドラゴンに乗ったマックスが降り立った。
雅は、宰相を攻撃したついでに腕の鎖を破壊していた。足の分も冷静に処理をする。
「すまぬ、しくじった」
「ッカ〜〜〜心配させんじゃねえよもお〜〜!」
「無事でよかった!」
マックスが竜の背中から雅へ駆け寄る。
突然の侵入者に、国導院の老人達が慌てふためいた。
「ひい! どういうことだヴァル!」「早く陣を発動しろ!」「ドラクーンを呼べ!」
情けない悲鳴が次々と。
宰相が袖口からワープのパレットを取り出そうとするが、雅が最速で光を放って阻む。
『千景兄様の陣を使わせたくない。畳み掛ける』
『了解!』
それを皮切りに、空間に赤い稲妻と黄色のひまわりが乱れ咲いた。
一方の宰相は防御陣で光を捌きながら、指で笛を鳴らす。
すると、大穴となった天窓から竜の咆哮が響いた。
まだ遠くにあるそれに、雅が言った。
「一対多勢でも問題無いな?」
「任せろ!」
緑のドラゴンが力強く飛び立つ。
巻き上がった風と同時に、マックスと雅は二手に別れ駆け出した。
『挟み撃ちにするぞ』
『うん!』
赤と黄色の光が爆ぜる。
雅の猛攻に乗じて、マックスが宰相の背後にまわり、ひまわりを撃った。
だが、盛大な光量を誇るその花を、一本の線が貫通した。
黄色い光は散り、マックスが狙撃のような薄紫を辛うじて避ける。
『ぬ、抜かれた……!? ていうか稲妻……!?』
『落ち着け、只の菊一重だ! 銀箔で強化されている!』
白に近いそのカラーは、薄さではなく生まれ持った銀色によるもの。しかし、稲妻型と見紛うコントロールは技術の賜物だった。
「的が大きくて助かります」
宰相は徹底してマックスに狙いを定めた。雅の攻撃は躱わすだけ。避ければマックスに当たるように立ち回り——それを悟らせ、雅の手を鈍らせていた。
『雅くん、足を狙って! 止まればさすがに僕でも当てられる!』
マックスの指示通り、雅はカラーを放とうとパレットをやや下へ傾けた。
だがそれに異常なほど反応したのは、国導院のうちの一人だった。
老人の中では最も若く、パレット出力も概ね現役。
彼が反射的に、雅へ向かって青緑の光を撃った。
『後ろだ雅くん!』
しかしその一閃が標的へ届くことはなかった。
別の国導院が、パレットを持つ腕を上に逸らさせていた。そして最年少の老人を怒鳴りつける。
「馬鹿者! 四色以上にするな! 捕縛陣ですら反応するんだぞ!」
老人の怒号により、雅の中で点と点が繋がる。
「シルヴィアの陣か……!」
「勘がいいですねえほんっと!」
今度は明確に破壊するために、雅はパレットを陣へ向けた。
それを察知した宰相は銀の群蜂を広範囲に放つ。
菊に押し込めていた光量がそのまま炸裂し、雅もマックスも正反対へ吹っ飛ばされてしまった。
「うわっ……たたた……!」
マックスは勢いで床を転がされるも、どうにか体勢を整える。かろうじてパレットは離さなかった。
彼が片膝をついた状態になると、側では雅を攻撃した老人達とは別の、国導院の中でも年長の数人が縮こまっていた。
「ヒイイ」
悲鳴をあげる老人達のうち、一人がすぐ隣の同胞を押しやって、我先とその背中に隠れた。
当然、盾にされた方は口から唾を撒き散らしながら、自分も隠れようとする。
マックスは眼前の醜い諍いに呆然とした。腕の力が抜け、パレットが下がってしまった。
思い出すのは、鎖に繋がれた少女の横顔や、涙を撒き散らしながら弾けた奴隷。
「そんなに怖いくせに、あの人たちを……?」
マックスの小さな呟きは、喚く老人の耳にも、誰にも届かない。
だがその言葉が堰き止めていたかのように、ざわり、と彼のカラーが溢れ出た。
パレットの先端から、黄色ではなく透明な光が流れ落ちる。
——床に描かれた陣へ。
陣が輝くと、鮮やかな色が立ち昇った。
「マックス……!?」
「まさか……!!」
雅と宰相、声すら出せずに唖然とする老人達は、姿を得ていく光をただただ見上げた。
そして、四色どころではないカラーを与えられたシルヴィアが現れる。
しかも七体。
姿こそ髪の長い女性だったが、なぜか水色ではなく薄い金色で、ドレスではなく人魚のようなヒレを持っていた。胸元にはそれぞれ赤、橙、黄色、緑、水色、青、紫の球体が付いている。
黄色はほぼ白に見え、まるで真珠のようだった。
「ノーブルさん……?」
そのシルヴィアが代表するように前へ出て、マックスに微笑みかける。
彼は立ち上がると、少しだけ目を細めて言った。
「ずっと助けてもらってるなあ……。
——力を、貸してくれますか」
言葉を持たない彼女達は、答える代わりにくすくすと空中を泳ぎ回って、はしゃぐように七人の目標へまとわりついた。
絶句する宰相、悲鳴をあげる老人達にマックスが宣言する。
「今すぐ戦争をやめさせろ。さもなくば呪いが発動する!」
マックスの近くで、国導院は泡を吹いて白目を剥き、別の老人は唾を飛ばして喚いた。
「待て! 国導院に名前を連ねてやろう! だから……!」
しかし当然ながら、マックスは無言で彼らを見下ろした。
シルヴィアが老人達の顔を覗き込む。
それが決着だった。
「あああわかった!! わかったから!!」「いっいま撤退命令を飛ばした!!」
阿鼻叫喚の国導院に、宰相が舌打ちをする。
「腑抜け共が……!」
彼にもシルヴィアが絡みつく。胸元には緑の球体を持っていた。
宰相は全員を巻き込んで自爆をすることも辞さなかった。
しかし彼は突然衝撃に襲われ、この戦いで初めて地に伏す。
「!?」
人魚の金色で、宰相はある一閃を見逃していた。
それは雅が放った漣——金箔だけを分離した光だった。
雅は素早くうつ伏せの宰相の上を取り、彼の腕を押さえた。パレットも蹴り飛ばしている。
『マックス、』
当の本人はたった今七人も呪ったとは思えないほど、いつも通りの顔だった。
彼は雅に心話術を飛ばして頷く。
『大丈夫』
マックスはまるで友人にするように、黄色のシルヴィアを手招いた。
そして彼女へ耳打ちをする。
「発動条件は、僕がこの人たちに“死んでしまえ”と言った時にしてください」
□■□
フロールから見て東側で、夥しい量のカラーが光っては消えていた。
青いドラゴンで飛び回るフロール国王も、戦いの渦中にいた。
国内最強部隊長の名に恥じず、戦線の拮抗に大きな貢献をしていた。
しかし突然、フェリクシアの軍勢が撤退をし始める。
国王は自分の部下達を制した。
『待て、深追いするな』
去って行くフェリクシアのドラゴンや飛行盤を見送りつつ、王は伝令を飛ばした。
『狙いはわからねえが隊列を整え、怪我人を後ろへ。消耗が激しい部隊は報告を』
王はドラゴンと前線に留まり続けた。側には騎士団精鋭のドラクーンも控えている。
やがてフェリクシアから、旗を掲げた飛行盤がやって来た。
旗は白地で中央に黒い横線が入っており、停戦の申し込みを示していた。
ドラクーン達が狼狽えたように王を見る。
(そりゃそうだ。罠かもしれねえな。だが……)
国王はカラーを二回真上へ撃ち、それを受け入れた。
『ヘイ諸君! 殺し合いはもう終わりだ! アンコールはなしだぜ!』
そして王は、この場に居れば「好きにしろ」と言うであろう親友に願いを馳せる。
(頼むぜペリー……!)
□■□
パレットを向ける蘇葉の前で、影武者が両手を広げて立ち塞がっていた。
彼女はキッ、と強く眉を吊り上げ正面を見据えていた。
一方で蘇葉は何の感情も表さず足を止めている。
数秒の後、影武者が不意に微笑んだ。
「お揃いですわ」
透き通ったソプラノが続けた。
「わたくしもずっと貴方を騙し続けていた。
不謹慎ながらもこんなところがお揃いで、わたくし嬉しくなってしまいましたの。
グレイス様……いいえ、ソヨウ様」
影武者は満面の笑みで言った。
「お慕いしております!」
年相応の、希望だけで育てられたような、輝く笑顔。
蘇葉は今度こそ目を見開き、思わず声がこぼれる。
「我が君……」
影武者が一度瞳を閉じる。再び開いたそれは、高潔な誇りを宿した眼差しになっていた。
「しかしまだこのお役目は放棄しておりません。
わたくしから、撃ちなさい」
息を呑んだのは蘇葉だった。
差し向けているパレットが揺れる。
蘇葉は影武者から目を背け、また見やり、ぎゅうと瞼を閉じ。
何度もそんなことを繰り返し、最後にもう一度影武者を見つめる。
そして彼は、ついに眉を下げて笑った。
「……お逃げください。条件はおそらく命令不履行です。
我が身には彼と同じ——シルヴィアの呪いが」
「! そんな……!」
その時、影武者の後から“わざとらしい”うめき声が出された。
「ううう〜」
一瞬、蘇葉の注意がユマに向く。
本来なら、彼は常に背後まで警戒している男である。だが今はその余裕が無い。
意識を戦闘に切り替えることが遅れ、僅かながら隙が生まれる。
千景には、それで充分だった。
「遅くなりました」
蘇葉の身に捕縛陣の黄緑色が走る。
陣が彼を拘束した直後、黒いドラゴンが薄紫の竜を上から制圧した。
同時に、影武者の後ろからユマが光を放ち、蘇葉のパレットを弾き飛ばす。
足も捕縛されている彼は、その勢いで地面へ倒された。
そして覚束ない足取りの千景が現れる。
仰向けに転がる蘇葉が目を丸くした。
「なぜだ……!? 司令室で眠らせたはず……!」
「ええ。俺のスペクトルを知っているから多めに撃ったんでしょうけど……足りませんでしたね」
ふらふらと千景はラスク達の側に寄ると、雑に腰を下ろした。
「ハァー……二人とも、状況を伝えてくれて助かりました。
心話術を繋いでおいて本当に良かったです」
「千景、シルヴィアの呪いだって……!」
「まだ大丈夫でしょう。
正確な条件はわかりませんが、捕縛なんて訓練でも有り得る状況を指定しない。誤爆します」
回答は明朗だが、千景はガクンガクン頭を揺らしていた。
「眠い……俺、妙な事口走ってません?」
「たぶん大丈夫……でもオイラも結構寝ぼけてる……」
「わーっ! 二人ともしっかりするんだ! せめて副隊長が来るまでがんばれ!」
ラスクはひっくり返りそうなユマを支えた。
この場で立っているのは、まさかの影武者だけ。
唖然とする彼女に、千景が揺れながら言った。
「フェリクシアから停戦の申し出があり、国王が受け入れました。
もう戦う理由はないんです」
遠くでドラゴンが吠えている。
聞き覚えのあるそれで、千景の身体が傾く。
ほぼ意識を手放している彼の視界に、紫の男が入って、思わず口をついた。
「惚れてるんなら、足掻けよ」
そうして千景はどさりと倒れ、地面で寝息を立て始めた。
蘇葉への文句であり、影武者は決してその言葉を向けられてなどいない。
しかし彼女は傷だらけのまま、よろつきながら蘇葉の傍らに来ると、すとんと両膝をついて座った。まるで看病するかのようだった。
蘇葉が空を仰いでぽつりと呟く。
「……戦争を、終わらせたいのだそうです」
影武者はじっと耳を澄ませていた。
「ずっと腐った政治で、それでも足りず無茶な要求を他国に強いて。
しかしそうしなければ、今度はこちらが制されてしまう、と。
だから早く勝って終わらせようと……あいつはたった一人で……」
蘇葉は瞳を閉じて続けた。
「停戦になったなら……戦争が終わるのなら、きっとそれでいい。
それがいいと、今なら思えます」
影武者は、彼の顔にかかる髪をそっと避けた。
「……わたくし、城の前に捨てられていたんです。名前も親の手がかりもございません。
とても寒くてお腹が空いているのに、動けなかったことを覚えています」
今度は目を開けた蘇葉が、じっと彼女へ耳を傾ける。
「影武者といえど、国王様は大切にしていただきました。雨風を凌ぐ部屋も、教養も与えていただきました。
姫様のお話も聞いていて、わたくしのやり方でお守りしようと、ずっと心に決めておりました」
「……ご立派でした」
蘇葉が影武者を見上げて言った。
彼女はなぜか溢れそうな涙を堪え、笑った。
「わたくし達、お互いを知らなすぎました。
もっと教えてください。大切なもの、譲れないもの。
必ず、道は見つかります。
見つけてみせますわ」