ケイトウ
花言葉:色あせぬ恋 おしゃれ 風変わり
むかしむかし、山頂付近の閉鎖的な村に男女の双子がいました。
双子は凶兆の証として忌み嫌われ、実の両親からも化物扱いをされていました。年中吹雪く狭い世界で、彼らは凍えながら二人で生きていくしかなかったのです。
やがて彼らは互いに愛し合うようになりました。血縁を越えた愛情を叱られることはありません。そんな大人は側にいませんでした。
ある年のこと、いつもの僅かな春になっても雪が全く止まず、村人は飢餓に苦しんでいました。そして誰かが双子を指差して言いました。
「山の神が、双子を忌んでいらっしゃる」
あれよあれよと二人はささくれた丸太へ磔にされ、家畜の血で不気味な紋様を身体中に描かれました。
村で最も吹雪が厳しい崖で、長老が古ぼけた蔵書を読み上げます。延々と最初から最後まで一冊分の文章を唱えると、文字が宙へ浮かび上がりました。やがてそれは人の形になり、背中から歪な翼を生やしました。雪に紛れる白い髪と青く光る瞳、細く長い四肢が宙に浮いていました。そして、縛られている兄の腹を腕で突き刺しました。
長老が積もりすぎて固くなった雪に平伏します。
「山神様……! どうか村をお救いくだされ……!」
村の大人達も、雪にまみれて土下座を繰り返しました。その中には双子の両親もいます。我が子が内蔵を掻き回され絶叫しても、濁りきった双眸には山の神しか見えていませんでした。
兄は口と腹部から真っ赤な血を溢れさせて、事切れてしまいました。
まだ足りない、と山神は妹に手を伸ばします。
しかし彼女は、迫る死など眼中になく、愛する兄の名を叫び続けていました。
彼女の声を塗りつぶすように、取り憑かれたような大人の合唱が、吹き荒ぶ風より大きく低く響いていました。
その時、妹へ手を伸ばした山神が、突然雪に埋まりました。
村人の呪詛もぴたりと止まります。
死んだはずの兄が、縄を引きちぎり磔の丸太で山神を薙ぎ払ったのでした。落ちた腸が、白い雪を赤黒く染めていました。
「おのれ忌み子! 山神様に何を!」
そう叫んだのは双子の父親でした。
兄はぎらついた目で村人を一瞥すると、縛られたままの妹を丸太ごと抱えました。
そして、処刑の崖から飛び降りました。
町長の書斎は物が散乱し、上等なソファはひっくり返っていた。
ツバキはがたがた震えるジェンゾへ、銀の銃を突きつけていた。
「後々見に行ったら村は全滅してたの。蔵書の悪魔に食い殺されたみたい。ざまあないわね」
その隣ではチャチャがツバキに腕を絡めていた。彼の足元から伸びる黒の影(ニグレード)はジェンゾを縛り上げていた。
「そういうわけで、あたし達は悪魔に手を貸す人間を殺してるの。大丈夫よ、庭公認だから」
「ま、待ってくれ! 仕方なかったんだ、住民を守るためだったんだ!」
「それで? 何も知らない貧困層を宗教でミサに誘き寄せて? 悪魔への生け贄にしてたんでしょ?」
「仕方なかったんだ! 私には息子もいるんだ!」
「それは、あの子のことかしら。どうぞ、入ってらして」
扉が動くことを拒むような音で開く。そこには立ち尽くす子どもがいた。
「パパ……?」
「ウィン! 違うんだ、これは……!」
押し付けられた銃がジェンゾを黙らせた。
「君はどう思う? パパのこと」
ツバキの意地悪い笑みに、ウィンが肩を跳ねさせた。
ジェンゾが気が触れたように叫ぶ。
「これは嘘だ! 逃げなさい!」
「何が嘘ですって? 彼も聞いていたのよ、“仕方なかった”って」
「……マリアねーちゃん、どこ行ったの?」
息子の清廉な質問に、ジェンゾは息を詰まらせた。
「パパが悪魔に捧げたせいで死んだのよ。その後に蘇って亡骸は悪魔の手先にされたの。さっき土に還したわ」
ツバキが代わりに答えるが、それは少年にはあまりに酷で、生々しい現実だった。
ウィンは言葉を理解していくと共に、顔を強張らせていく。
「ねーちゃんも……?」
息子の眼差しに、ジェンゾは焦点の合わなくなった目で喚いた。
「違うんだ! 違うんだあああ!」
「黙りなさい。永遠に」
ツバキが引き金に指をかける。
チャチャは彼女からするりと手を離し、ウィンの前へ来て中腰になった。
目線を合わせたチャチャの後ろで銃声が短く鳴った。
ウィンは惨い光景は見なくて済んだが、炎を孕んだ石炭のように赤い瞳に射抜かれていた。
双子は、住人を悪魔へ捧げた男の息子になど全く同情できない。ガーデニアの規制が無ければこの町の富裕層と一辺に手をかけていただろう。
しかし、その子どもは最愛の父を目の前で亡くし、その罪——今までの毎日が他人の犠牲で成り立っていたと知ってしまった。誰かが導かなければ、道を踏み外す要素は充分にあり、悪魔に依存する二代目にも成り得る。
チャチャは罵らないように、ゆっくり口を開いた。可愛らしいヘッドセットに似合わぬ低い声が、少年を一生縛る言葉を紡ぐ。それは憎悪と悪意を削いだ、有りっ丈のわずかな情だった。
「全部、悪魔のせいだよ」
二十六年後、プリム町は一人の若い長を迎える。
彼は孤児や貧しい人々の救済や教育を積極的に行い、歴代で最高の識字率、最低の犯罪率、失業率を叩き出した。
彼は驕ることもなく質素な暮らしをしていた。
住人に愛された町長は優しく頼もしかったが、常に追われているようだったとも言われていた。
そして就任五年目のある日、自室で首を吊っているところを発見される。
引き出しからは、真っ黒になるまで書き潰されたノートが何冊も見つかったという。
□■□
闇が液体になったかのような、暗い海に面した西端の郊外。孤立した一軒家だけが、電灯で明るかった。
そのリビングに、紅茶の芳しい香りが漂っていた。中心に置かれたロッキングチェアが、小さな主を乗せてたまに軋む。窓の外で荒れ狂う海原を尻目に、穏やかな午後だった。
眼鏡をかけた少年——の姿をした悪魔、スワンプマンは愛読書の続きを読み耽っていた。大人でも怯むほどに密集した活字を、青い瞳は滑らかに追いかけている。赤銅色の髪は、邪魔にならないようきっちり分けられていた。
そんな至福の時間に突然の来訪者がやって来た。
「やっほー、スワンピー」
青い髪と瞳に、半分は破れているツナギ。ふざけたあだ名を呼ぶ、見るからに軽薄な男が手を振った。
何度玄関を教えても、キッチンの勝手口から侵入するマクスウェルだった。
彼により、スワンプマンは佳境だった物語を中断するハメになった。
「……急になんだ、マクスウェル」
「え、なんでそんな不機嫌なの。まだ何もしてないじゃないの」
「いいから用件はなんだ。さっさと帰れ」
「ひっでえなー、久々に会ったのに」
スワンプマンが本へ視線を戻すと、マクスウェルが慌てて付け足した。
「いや、ちょっと頼みがあってさ」
「簡潔に説明しろ」
「目もくれないだと……。
あのー、あいつ。クロウってもっかい出せねえ?」
スワンプマンは顔を上げた。眼鏡の奥で、青い瞳を丸くしている。
「やられたのか?」
「ごめんちゃい」
「別に代わりはいくらでも利くから構わないが……。特徴は?」
「髪が赤くて、へらへらしてて、自分のことあたくしって言う奴」
「……アレか。わかった」
スワンプマンは華奢な腕をチェアから伸ばし、掌を床へ向けた。そこから肌色の塊が垂れ下がり、どんどん膨らんでいく。
マクスウェルは、あまり近寄ると怒られるので、風船を心待ちにする子どものような顔でそれを見ていた。
「オレがいない隙に“同族殺し”が来たらしくてさ」
「食うなり遊ぶなりすればよかったじゃないか」
「一人で? ええーこわーい」
「東を治める大悪魔が何を言っている」
肉塊は人間くらいの大きさになるとぼとりと落ちた。そして肌色が水のように蒸発すると、赤髪の男の姿になった。男は何も纏わず、胎児のように丸まって目を瞑っていた。
それを眺めながらマクスウェルが呟く。
「あの地域は見返り要求がうるさかったし、潮時だったんだよ。
……早く切り上げておけばよかったかもな」
スワンプマンは一仕事終えると、眼鏡を中指で上げた。
「君は物事に執着する方だとは思っていたが、やはり理解出来かねる。
縄張りは簡単に捨てて、たかが子分を調達しにこんな果てまで来る」
「あいつは気に入ってたんだよ」
「それがよくわからない」
マクスウェルが近寄って屈むと、スワンプマンの分離体も身を起こした。パチリと開いたその目は、光る青だった。
「初めまして、ミスターマクスウェル。あたくしは……そういえば本体、あたくしの名前は?」
母体であるスワンプマンより先に、マクスウェルが答えた。
「クロウだ。オレのことは呼び捨てでいい」
「アイアイサー、マクスウェル」
それを聞いたマクスウェルは、キョトンとした後、酷く満足そうに笑いだした。
「……くくっ、ハハ、ハハハハ!」
二代目クロウはとスワンプマンは顔を見合わせてしまった。
東の大悪魔は、同胞をほったらかして好きなだけ笑うと、少年のように無邪気に言った。
「とりあえず、モノクル買いに行こうぜ」