センニチコウ
花言葉:終わりのない友情
「おい! なんでこんなに熱い歓迎受けてるんだ!?」
そう叫んだのは、針金のような銀髪のレイン、エリオット。彼が幼い少女と男——の皮をかぶった異形を銀の銃で撃ち抜く。
同時にエリオットの死角に別の異形が入り込むが、すかさず黒の鞭(フラジェラム)が切り裂いた。
「どっちの意味!?」
プラナスがエリオットと背中を合わせた。珍しく余裕のない顔で鞭を振るっている。肉声であり、クチナシの解除はすでに行われていた。
ローザ班が担当するのは西の果て。真っ暗な海に面した、火山の麓だった。
裾野が広いので、彼らの位置から実際の山までは距離がある。それにも関わらず、とうに固まった黒い火砕流が、凹凸の険しい地形をつくりあげていた。しばらく噴火こそしていないが、山頂に近いほど、赤い亀裂が大地に透けていた。生温い風がじわじわ体力を削る。
そんな居住には全く向かない場所に、人影があった。山から無尽蔵に沸いているような夥(おびただ)しい、かつ、不揃いな行列だった。転がる岩に点在し、姿もバラバラで女や男、大人や子どもとまちまちである。共通しているのは、不自然に直立不動なことだった。
もちろん正体は人間でない。
それぞれが、異形の証拠である黒い腕を持っていた。触手になっている個体もいて、大蜘蛛のように鋭利なものから、タコのようにうねるものまであった。
あっという間にローザ班は囲まれ、消耗戦を強いられていた。
エリオットはたった二丁の銃とは思えない連射で異形を砂と化していく。
「よほど火山に近寄られたくないみたいだな……!」
彼は言葉こそ強気だった。
しかし、手持ちの日光は徐々に底が見え始めていた。
(クソ、引きつけてから始末しているが……節約にも限度がある)
その時、二人のちょうど間に異形の腕が振り下ろされた。
「エリオット!」
「チッ!」
二人は正反対に飛び、それを避ける。
エリオットは実質、プラナスと引き離されてしまった。
“人間”は背後からの攻撃に遅れを取りやすい。相手が異形ならなおさらだった。そのためプラナスがカバーする必要があった。
エリオットは一刻も早くプラナスと合流しなければならない。再び異形を引きつけてから活路を拓こうとした。
なぜかその時、エリオットは違和感を覚えた。
「……ああ?」
異形は、それぞれは大した能力もなく知能も低かった。エリオットの“つり”に容易く引っかかる程度。
それがなぜか、彼の方へ寄ってこなかった。
もしエリオットが後退すると、岩が入り組んだ、小さい洞窟のような場所に差し掛かる。その岩にだけ異形がいなかった。
そして異形の攻撃は、追い詰めることを嫌がるように、ひたすら遠隔で腕を伸ばすだけだった。
試しにエリオットは足を一歩引く。洞窟に踵だけが踏み入った。
「うおっ!」
彼は素早く横へ飛び退いた。
弾丸のような速度で、黒い触手は全て、彼の足があった場所を抉っていた。
エリオットはそれを横目に思考を巡らせる。
(……何の情報もなけりゃ、警備の固いとこが本拠地だと思うだろうな。というか思った。
じゃあこの妙な行動はどう説明つける。わざわざこんなフェイク入れるか?)
タチの悪い作戦にエリオットは口角を上げた。
(どうも思考回路が似ている奴がいるな)
彼は声を張り上げた。
「プラナス、進むな! こっちの岩が本命だ! “大振り”かませ!」
エリオットはその直後に身をかがめた。
異形に言葉の意味を理解する能力はない。あったとしても時すでに遅し。
黒い鞭が、水平にしなる。
次の瞬間には、二人を囲う異形がことごとく真っ二つになっていた。
岩も一緒に叩き斬られ、上部がガラガラと崩れ落ちる。落ちてきた岩により、地面に点々と亀裂ができていた。
エリオットは拗ねた声を出した。
「なんだ。杭じゃねえのか」
鞭で悪魔を一掃したプラナスが、首を傾げる。
「急にどういうこと?」
「異形共、そこの岩に近づかれんのを変に嫌がるんだよ。
おそらく杭がある。
オレ達は勝手に、敵が多い方が本拠地だと思っていたがな」
エリオットはそのまま銀の銃を足元へ発砲した。標的を見もしない八つ当たりだが、彼をひっそりと狙っていた異形を、正確に撃ち抜いていた。
撃たれた異形は這いつくばりながらも、鋭利な腕を伸ばそうとしていた。今や砂となり、重さなど無いに等しい。
それを尻目に、エリオットは空になった銃を補填しようとした。
銃は持ち手の部分に弾倉をカートリッジのように入れるタイプのものだった。手慣れた作業に滞りは一切無く、普段なら瞬間で終わる。
だが同時に、異形だった砂の下で、地面にヒビが走った。
そして急速に地割れへと進化し、エリオットを飲み込んだ。
彼の手から、弾倉ケースと空の銃が抜け落ちる。
「エリオット!」
落ちる彼は、プラナスの青ざめた顔がやけにハッキリと見えた。
□■□
落ちていくエリオットは、途中で何度か身体を壁にぶつける。
その拍子に、身体中のポケットに仕込んでいた仕込んでいた弾倉が割れ、日光が漏れ出した。
まるで点滅しながら、彼は地面に叩きつけられた。
「いってー……」
エリオットは痛む身体をどうにか起こした。幸いなことに打撲だけで、骨折もしていなかった。弾倉がプロテクターとなり、さらにぶつかりながら落ちたことで、速度が緩められていた。
(げ。銃が一つねえ。無事な弾倉も上か)
暗闇の中、彼はすぐ側に落ちていた銀の銃を拾う。
「うお」
エリオットは突然降ってきた拳大の物に驚いて立ち上がった。
それは崩れた岩の破片だった。
そのまま彼は上を見る。
だが、闇が広がるだけで、落ちた穴も戦闘中のプラナスも視認できなかった。
(どーすっかな……。まあ悠長にはしていられねえな。ここがアタリなのは確実だ。いつ悪魔が飛び出してくるかわかったもんじゃねえ)
彼は、割れていなかった銀の玉を手のひらに一つ転がす。そこで破裂させるが、日光は呪文で球体にとどめ、ランプの代わりにした。
視界がぼんやりと明るくなる。
落下地点は、細い通路のような場所だった。
舗装は当然のようにされておらず、岩肌が剥き出しである。何か置いてあるわけでもなく、ランプで照らした先は闇。
エリオットのすぐ背後は岩の壁になっていた。進める方向は一つだけだった。
(袋小路の行き止まりに落ちたってことか……)
彼は慎重に歩き始めた。念のため銀の銃も構える。
(出入りがあるとこなら地上への階段でもあるはずだが……)
その時エリオットは何かに顔をぶつけてしまった。これだけの警戒をしていながら、突然の衝撃。彼は咄嗟に銃を向ける。
(いない!?)
悪魔の姿はそこになかった。
エリオットは銃を構えたまま、前後左右それぞれへ素早く振り向く。
再び前を向いた時、銃口が何かに当たった。金属同士が衝突した高い音が響く。
「これは……」
闇だと思っていたのは、塗りつぶされたような真っ黒い柱だった。円錐状になっており、上が広く、そして下へいくほど細くなっている。だが根元は深々と地面に突き刺さっていた。
(ただのオブジェなわけねえな)
夜空を縫い付ける、西の杭。それがぶつかった物の正体だった。
(杭は古くから残ってる物や場所にあるっつーが。確認してみるか)
エリオットは柱の脇を抜ける。狭まったそこから出ると、あたりをランプで照らした。
(やっぱりそうか)
彼が立つ、杭の刺さっている場所は祭壇のように少し高くなっていた。
エリオットが見下ろすと、隅の方に目立つ瓦礫があった。
おそらく、永い年月で崩れた階段だった。地上へ繋がっていたはずだが、ただの岩となり出口も塞がってしまっている。
(プラナスを呼ばなきゃいけねーが……試すだけ試してみるか)
彼にはずっと疑問があった。
(悪魔を癒すなら、悪魔側の物質ということになる。理論上、デミや本で壊せるはずだ。だがカズラのアンシスと接触しても何の反応もしなかった。
そして今、オレがぶつかっても)
エリオットは銀の銃を杭へ向ける。
(だいたい“夜を縫い付けて”いるなら——)
彼は突然、方向を変えた。真後ろへ向いた彼は暗闇へ一発銃を撃つ。
発砲された日光が黒い影を退けた。
少女の泣き声が木霊する。
「うえええん。うえええん」
「……下手な泣き真似だな。せめて人型たもてよ」
迷子の少女、の姿をしたモノの首が折れ、そこから黒い腕が伸びていた。宙ぶらりんの頭部は声帯と離れているにも関わらず、感情のない声を発している。瞳孔が開ききった目は青く光っていた。
(ここの“担当”か)
悪魔は、薄汚れたと言うには古すぎる衣服を纏っていた。そもそも年代が異なる、麻袋を頭からかぶっただけのようなもの。
(悪魔の増援はなさそうだな。むしろ、こいつは遥か昔から“念のため設置されていた”と考える方が辻褄が合う)
エリオットは残りの日光をちらりと数える。
(銃が三発、銀の飴(シルバーキャンディ)が二発。武器も残りはコレとコレ……。
さあて、どうしたもんか)
□■□
「エリオット!」
プラナスは、エリオットを飲み込んだ穴に身を乗り出した。残された銃と弾倉を拾い上げ、すぐに飛び込もうとした。
だが彼の背筋を走る悪寒が、その足を引き止めた。プラナスがバッと振り返ると、少年が立っていた。
「ああ。落ちたのは人間の方か」
少年は幼く見えるが、選ぶ言葉は大人のものだった。神経質に分けられた赤銅色の髪に、眼鏡をかけている。だがその目は青く光っていた。
プラナスは鞭を構える。
「ここを縄張りにしている悪魔か……!」
「いかにも。西を司る、スワンプマン。お見知り置きを——どうせすぐ滅ぶがな」
スワンプマンの言葉を合図に、再び異形が湧き、プラナスへ襲いかかる。
何体かは、地割れに滑り込もうとしていた。
(マズい!)
プラナスは鞭でその異形を裂く。次いで、エリオットの弾倉を空中で叩き割った。
日光が溢れる。
プラナスはそれを呪文で留めた。
「Paries!」
「……ほう」
地割れの周りに光の結界が張られる。
異形がエリオットを追うことは、しばらくは不可能となった。
スワンプマンは目を細めた。
「それでは自分も閉め出しを食らうが、良いのか?」
「ここで待っててくれるの?」
「まさか」
プラナスが鞭を振るう。
風を切るその速度を、スワンプマンはひらりと躱した。逃げ遅れた前髪が数本舞った。
スワンプマンが避けた鞭は別の異形に当たり、粉砕した。
その怪力を横目にし、スワンプマンが言った。
「ふむ……見ての通り僕は非力な方でね。卑怯な手を使わせてもらおうか。
君の相方が落ちた先には、僕と同年代の番犬がいる。
墜落死していたならまだしも、もし中途半端に生きていたら……今頃、どうなっているだろうな?」
しかしスワンプマンの目論見を裏切り、プラナスは攻撃の手を緩めなかった。
「彼は無事だよ」
さらに鞭がしなりスワンプマンに迫る。
スワンプマンは回避が間に合わないと判断し、異形を一体身代わりにした。
盾にされた異形が砂になる。
「……根拠は?」
「信じているから」
その形が崩れきる前に、プラナスは目の前の大悪魔へ駆け出した。
「ボクは、お前を倒すだけだ」
プラナスが鞭で縦横無尽に斬りつける。
スワンプマンはそれをいなすが、何体か異形の盾を消費させられた。当然、されるがままではなく、プラナスの背後から異形が攻撃を仕掛ける。だが跳躍で避けられ、致命的な体勢の崩れは誘えなかった。
スワンプマンは顔色を変えなかった。冷静だった。
(このクチナシ、思ったより頭が回る、というより肝が座っているな。
僕を放って追いかけても、仲間と合流した場所で僕と番犬を同時に相手にすることになる。仲間が手負いなら、それを庇いながらというハンデもつく。最も集中できるのは、仲間の安否が不明なこの場だ。
そもそも僕を倒さずに追いかけることは不可能だが)
腕力で勝るプラナスと、数で勝るスワンプマン。
両者は互角だった。
せめぎ合う猛攻の中、プラナスがニッと口元をつり上げた。
「それに、アタリだろうしね」
意図が読めず、スワンプマンはわずかに眉を寄せる。
プラナスは続けた。
「杭の領域に侵入者があった。そして番犬がいるにも関わらずお前は出てきた。
エリオットは生きている」
スワンプマンを庇う異形が一瞬途切れる。
プラナスはすぐさま接近し、そこに鞭の柄を刺すように叩き込んだ。
だがスワンプマンが手のひらでそれを受ける。
押し合いになった。
スワンプマンは顔色を変えなかった。だが声に苛立ちが混ざっていた。
「図に乗るなよ、愚か者。
“杭”は人間の後悔……“悔い”を固めたものと言われている」
「なにが言いたい」
弾き会うように、どちらも後ろへ跳んで距離を取った。
スワンプマンが電流を纏う。青く光る瞳は冷たく、大悪魔にふさわしかった。
「後悔するぞ。彼を、無力な人間をたった一人で降ろしたこと」
スワンプマンが右手をかざす。
プラナスも鞭を再び構えた。
「後悔するよ。彼を、無力な人間なんてなめてかかったこと」
□■□
同時刻、エリオットは、後退を余儀なくされていた。
相手は世界が始まった頃からいたような、怪物同然の異形だった。
それを相手に、四肢の裂傷と頰の擦り傷で済んでいることは奇跡だった。
エリオットの背中が壁にぶつかる。
彼は落下地点まで後退していた。散々逃げ回ることで致命傷を避けていたが、ついに行き止まりだった。
彼の目前には、狭い通路一杯に黒い腕を広げる異形。そして漆黒の杭。
ここに来て、エリオットは異形に話しかけた。
「……なあお前、ここで人間と会ったことはあるか?」
知能のほぼ無い異形ですら、エリオットの絶体絶命は理解できた。嘲笑うように口端の切れ込みが広がる。
「あるよあるよーいっぱいあるよー」
「そうか。充分だ」
エリオットは銀の銃の引き金から指を離した。
「こわいのこわいのー? だからおしゃべりー? こうかいしてるー?
杭は後悔を固めたものースワンプマンがーひゆしてたー。
そんなーものでーどうするのー?」
エリオットは鼻で笑うと、“銃ごと”異形へ投げた。
「こうする。Saltare!」
直後、“撃鉄を打つ”音と強烈な光が、狭い空間に炸裂した。
至近距離で全身へ日光を浴びた異形は、吹き飛ばされたように砂となっていた。
エリオットが持っていたのはただの、人と人とが争うために使う、“黒い”銃だった。
(こんな土壇場で、あいつの真似をすることになるとはな)
彼は投げつけた銀の玉を実銃で撃ち、同時に銀色の銃に装填された日光の弾丸を暴発させたのだった。
いつか、アンカリアが用いた手段だった。
エリオットがそのまま実銃で杭を撃つ。
「鞭じゃわからなかったが、硬い物質なんだとは思っていた。
そういうのは一カ所崩れると脆い」
同じ場所へ正確に打ち込まれた金属の弾丸が、杭に亀裂を生じた。
やがて亀裂が杭を一周するように広がる。
杭は分断され、上部は引き抜かれたように空へ消えていった。
(やっぱりな。夜を縫い付けているなら日光に強くなきゃいけない。だから悪魔と同じ“素材”っつーことはあり得ない。日光じゃ壊れない物質でそれなりに強度のあるものに限られる。
そして普通の人間じゃ杭に辿り着く前に悪魔に食われる。
だから、クチナシと悪魔にしか壊せないなんて話になったんだ)
エリオットが杭の残骸を覗き込むと、内部には歯車や細かい部品が詰め込まれていた。
(杭は、人の手で作られた物だ。
悪魔が唆したか? それとも、悪魔を呼び込んだ人間がいるってことか……?)
□■□
地上では、スワンプマンの電撃が地面を抉っていた。
プラナスが紙一重でそれを避ける。
すると突然、スワンプマンが頭を抱えた。
「馬鹿な……人間が杭を、番犬を退けるなど……!」
その意味を理解し、プラナスはまだ暗い空を仰ぎ見た。
(やったんだね、エリオット……!)
その時、彼を横薙ぎにする力が襲った。それにより地面に押し倒される。
「ぐうっ!」
プラナスの身体に何匹もの異形が絡みついていた。
のしかかる個体もあり、あからさまな足止めだった。
だが形勢逆転をしたにも関わらず、スワンプマンは苦々しい顔をしていた。
「やむを得ん……」
スワンプマンは、エリオットが落ちた穴に張られた日光へ突っ込んだ。腕で頭部を守り、皮がずる剥けてもお構いなしだった。
「待て!」
エリオットの怒号をよそに、スワンプマンはそのまま穴の中へ飛び込んだ。
暗い穴ぐらの中、スワンプマンの上部に影が濃くなった。
「なっ……!」
「逃さない! お前はボクが倒す!」
身体に異形を取りつかせたまま、プラナスが後を追っていた。スワンプマンには皮肉だが、纏わりつく異形は、日光の結界を突破する時に鎧となった。
プラナスはまず異形を鞭の餌食にし、そして先を落ちる悪魔へ鞭を打ちつけた。彼の咆哮が反響していた。
「わああああ!」
「くっ……!」
スワンプマンも黙ってはおらず、爪や電撃で応戦する。
互いに空中で斬りつけあったことで、裂傷や火傷を負った。相手に着地の体勢をとらせまいとし、結果としてどちらも一番下の岩盤に叩きつけられた。
暗闇でもわかるくらいに砂埃が舞う。
「ligatur 悪魔よ封印を受けろ」
プラナスでない、戦っていた相手ではない者の声に、スワンプマンは光る瞳をカッと見開いた。
スモークのような粉塵を巻き込んで風が吹く。
視界が晴れると、銀髪の人間——エリオットが真っさらな本をスワンプマンへ向けていた。
スワンプマンの全身は鞭で傷だらけだった。悪魔としては大したダメージではない。だが、そこから崩れ落ちるように生じた砂が、エリオットの持つ本へ吸い込まれていた。
「叫んでいたのはこのためか……! 小癪な……!」
スワンプマンが電撃をエリオットへ放とうとする。
だがその腕は、闇から伸びてきた鞭によって真っ二つにされた。肘から先は本へ吸い込まれ、プラナスがエリオットの横へ着地した。
エリオットが本を掲げたまま言った。
「杭はぶっ壊した。けどお前が滅んでねえってことは、コレは悪魔の存在を手助けするための物ってことか」
「良いのか!? 大悪魔であるボクを封じれば、その眷族に殺されたクチナシも滅ぶぞ!」
エリオットは黙ったまま、本を持つ手に力を込める。
ひどく明るい声はプラナスだった。
「もちろん。そのために、戦ってきたんだ」
やがて、暗い穴ぐらで小さな竜巻が止む。
スワンプマンがいた場所には、眼鏡が落ちていた。
エリオットが本を閉じる。
「……一段落だな」
「うん」
「お前、なんでそんなに笑っているんだ?」
「え? そう?」
んー、とプラナスは唇に指を当て、数秒考えてから言った。
「信じる者は救われるってね」
いたずらっ子のように笑うプラナスに、エリオットは首を傾げた。
その時、彼らのすぐ側で壁が崩れる。
「げ」
「うわ」
狭い空間で暴れまわったせいで、崩落が始まっていた。
プラナスは鞭で落石を切り裂く。
「エリオット、捕まって!」
□■□
二人が穴から抜け出した先では、スワンプマンの眷族がことごとく砂になっていた。
東側の水平線はまだ暗い。縫い付けられている夜が黒い帯のようだった。
だがその上から、太陽が登ろうとしていた。あたりが薄っすらと明るくなってくる。
エリオットは崩れてしまった洞窟を見やった。
(……杭の中身は回収できずじまいか)
彼は穴から離れ、適当な岩にどかっと座り込んだ。傍にスワンプマンを封じた本を置く。
「西だから日の出まで時間があるな」
プラナスもその隣に座った。
二人は白み始めている空を見上げた。
エリオットがぽつりと呟いた。
「……長かったな」
「そうだね。いろんなことがあった」
ぬるい潮風が二人の間に吹く。
プラナスが口を開いた。肉声のままだった。
「……勉強し直すの? お医者さんの」
「どうだろうな。助けてえ奴は死んじまうし」
「あはは。クチナシになったら病気は無関係だからね」
エリオットは膝を立て、そこに頬杖をつく。口端は上がったままだった。銀色の目は、青みを増していく空を見つめていた。
やや間を開けて、プラナスが言った。
「さよならを言う時間があるのは、よかったかな」
エリオットがプラナスへ顔を向ける。
プラナスは空を見上げたまま言った。
「この時間が、悪魔に食われたからできたものだと考えると……食い殺されたモトはとった気分だよ」
「めちゃくちゃ不謹慎な話してるな、オレら」
プラナスは吹き出しながら、エリオットの方へ向いた。
「あはは。今日くらいはジャスミンも許してくれるよ」
しばらく、二人は笑っていた。何を話すわけでもなく笑っていた。
やがて、数本の朝日が東の水平線の上から差し込む。
プラナスの足が靴の中で砂になり始めた。
「エリオット。アンと幸せにね」
「だーれがあのじゃじゃ馬と」
プラナスは握った拳をエリオットへ向けた。
「さよなら。エリオット」
「ああ、さよなら。プラナス」
二人は拳を突き合わせた。
プラナスの姿が、まばたきをするごとに砂へ置き換えられていく。
そしてどちらともなく口を開いた。
「またね」
「またな」
太陽が完全に顔を出す。
エリオットの隣で、ピンクのマフラーが灰色の砂の上に座していた。