プリンセスなるみん
神様は、やればできるんじゃないか。あいつを見ているとそう思う。
我が組のアイドルが、教室のど真ん中でハーレムを形成していた。クラスどころか、学園中の男から崇められる勢いだ。
カーディガンの袖から見え隠れする、細い指。絹のようなピンクの髪は、片側に緩くまとめられ肩を滑っている。ややたれている翡翠の瞳は、長い睫毛で囲まれていた。透き通る雪肌、薄く色づく唇、慈愛の微笑み。それを鼻にかけることなく、誰にも等しく温かい性格。
美点を挙げていったらキリがなかった。正に学園のアイドル。
まあ、男だけど。
「あ」
げ、目が合っちゃった。
もういっそ女装していろよと思う。セーラー服も似合うよ、確実に。
その美少女まがいの美少年は、ハーレムの中心からこっちへ手を振ってきた。嬉しそうに笑うんじゃねえよ眩しいよ。
もう同じクラス二年目だから慣れたけど、そいつは常に男に囲まれている。本人は友達と居る感覚でも、友達の方は目付きが違った。ホモが多いんじゃなくて、魔性のアイドルが悪いんだけど。
「なるみん、どこ行くの?」
「夏のとこ」
申し遅れたが、江西 夏とは私のことだ。花の女子高生をしている。
そして、引き止める取り巻きを笑顔で悩殺した、なるみんこと鳴海 清司。名前は普通なんだけどな……。
正式名称はプリンセスなるみんだと、小柴から聞かされた時は鳥肌が立ったのでぶん殴っといた。
小柴とは、ハーレム構成員の一人で分類的にはガチムキだ。私はサンドバッグと呼んでいる。
「おはよ、夏」
私を呼んだのは、低めの女の子とも、高めの男の子ともとれる声だった。声まで繊細とは本当に隙がない。
コンビニの袋を片手に、鳴海はわざわざ私の前の席に座った。首を傾げるんじゃない。朝から暑苦しい野郎共が嫉妬の眼差しを向けてくるだろ。
「はよ。小柴が泣きそうなんだけど」
「え? どうしたんだろう」
鳴海がきょとんとハーレムを振り返った。
ダメだ、小柴めっちゃ笑顔だった。「無防備なきょとん顔! 万歳!」じゃねーよ、やかましい。
「ごめん、気のせいだった」
「珍しいね。ふふ」
楽しそうな鳴海の爪は、綺麗に整えられてトップコートでつやつやとしていた。
瞼にはナチュラルブラウンのアイシャドウが……あれ。
「メイク変えたの?」
「あっ、うん! ……どうかな?」
「いいんじゃない。ゴールドのラメ入り、結構好きだよ」
「そ、そっか。よかったあ」
鳴海はふにゃりと、とろけた笑顔を見せた。
褒められることなんて日常茶飯事だろうに。心無しか頬も赤くなっている気がする。ついにチークまで塗り始めたか?
へらへらしていた彼女、間違えた、彼は思い出したように手を打った。
「そうそう! この前に話してたリップ、買っちゃったんだ」
「迷ってたやつだっけ。結局どっちにしたの?」
聞いてもいないのに、鳴海お気に入りのリップクリームに新作が出たと報告された。その時は赤いのとピンクので迷っているとか言ってたっけ。
鳴海は悪戯っぽい顔をして、袋から二本のリップを取り出した。
「両方にしちゃった。一個あげる。おそろいにしよ?」
選んで、と差し出されたそれらは、たしかにデザインも凝っていてなかなか可愛い。その分お高めなんだけど。
「すごくどっちでもいい」
「小悪魔ローズヒップとね、純情ホワイトピーチ。どっちもアロエ配合だって」
「鼻の下に塗ってすーっとする方」
「そんな使い方しないでよ、もうっ」
どうせ後で試さして、とか言うんだから自分で持っておけばいいのに。
ピンク頭は若干膨れっ面で赤い方を差し出してきた。
「夏は小悪魔だから、こっちね。はい」
「どの口が……。ていうか、高かったんじゃないの?」
「俺があげたいからいいの」
「じゃあまあ、遠慮なく……ありがとう」
学園中の男を振り回せる小悪魔は機嫌が直ったらしい。
「いいえっ」
遠くから歓喜の雄叫びが聞こえてきそうな笑顔になっていた。実際にハーレムが悶えてうるさかった。
「きゃあああああああああ」
今度は黄色い悲鳴まで上がった。なんだなんだ、事件か。
「髪染めた? もっと可愛くなっちゃったね。
わあ、ネイルしたの? やっぱり赤が似合うね。
これくれるの? すごい美味しそう。ありがとう」
犯人は我が校の王子だった。
女子の花道で、華麗にアプローチを捌きながら前進している。登校したばかりだというのに、その手にはプレゼントが積まれていた。少女漫画か。
切れ長な金の瞳と、白銀のストレートヘアー、精悍な顔立ち。王子と呼ばれるにしては男臭い騎士寄りの外見だけど、反する柔らかい物腰で逆に女子のハートをぶち抜きまくる。
「おはよう、夏ちゃん。今日も綺麗だね」
にっこり笑った王子はアイシ、通称愛くんだった。「愛の戦士と書いて愛士だよ」が、この爆弾野郎のキメ台詞である。
そいつは私のお隣さんでもあった。ちなみに席だけではなく家もだし、幼馴染みで高校までずっと同じクラスという喜劇、間違えた、奇跡だ。
「はよ。今日もごくろうさま」
「クッキーもらっちゃった」
「見てたわ」
「あれ、鳴海はメイク変えたの? 似合ってる」
愛士は女同士でも見過ごすような変化まで見つけ、息をするように褒めてくる。厄介なことに、奴にとっては挨拶と同等であり他意も下心もない。
「ありがとう愛くん。あ、そういえばね」
王子とアイドルの壮絶な輝きの横で、私は着信を知らせるスマフォに気付いた。
愛の狂戦士は朝っぱらから爆弾を連投してきたらしい。被害者であるもう一人の“王子”からのお呼び出しだった。紅茶買ってから行くね、と返信。
まさか幼馴染みが二人とも王子になるとは思わなかったなあ。
□■□
人のあまり来ない廊下でもう一人の王子こと、時雨が頭を抱えて壁に突っ伏していた。ちらちら見える耳は真っ赤だ。
ネイビーのショートヘアに、すらりとした長身。きりっとしたルビーの目。歩くだけでも凛々しくて、通ればファンの女子が浮き足立つ。
そんな王子も恋に悩む可愛い女の子なのだ。
「あたしが寝癖つけてたのが悪いんだけどさああああ……あれはダメだって……」
時雨がコンクリートに頭を打ちつける。頑丈だからいっか。
「今朝会えたならラッキーじゃん」
「そうだけどさああああ……」
「あいつのことだから『ちょっとドジなところも可愛いよ』とか言ったんでしょ」
「可愛いわけないじゃんかあああ! っていうか見てたのか!?」
「誰でも想像つくよ」
「だよな!」
ようやく落ち着いた彼女は、壁にぺっとりもたれかかった。
「……可愛いわけ、ないじゃん」
真ん中分けのおでこも赤くしながら、泣きそうな声をしていた。
時雨の実家は空手道場で、彼女も今や師範代だ。さらに弱小だったうちの空手部を、全国制覇に導く程の器を持っている。改めて言うとすごいな。
私は、乙女な幼馴染みへ溜め息をついてしまった。
「普段からそうしとけばいいのに」
「だって、だって……!」
「あ! 時雨先輩!」
その時、一年生らしい女の子が数人やってきた。
時雨スイッチオン。
「どうした?」
「あのっ、これ、みんなで作ったんです! 先輩に食べてほしくて……」
「すげー! ありがとな!」
時雨が後輩の頭をポンと撫でるとその子は顔を真っ赤にした。きゃあきゃあ言ってまわりの子もはしゃぐ。
私はお邪魔だろうからパックの紅茶を一気飲みしておこう。二五〇ミリリットルチャレンジ。
「今度の団体戦がんばってください! 応援行きます!」
「おう! 優勝するとこ楽しみにしとけよー!」
全然飲み切れなかった。息続かないわ。
いつの間にか小動物の群れが去り、時雨は見送りの手を降ろした。あ、スイッチ切れた。
「あたしもあんな風に可愛ければ……」
死んだ魚のような目にどんどん涙が溜まっていく。もらったお菓子の、女の子らしいラッピングがくしゃっと音を立てた。
こうやって悩んでいる姿は紛れもなく女の子だし、可愛いのに。
「だから、普段からそうしとけって」
「無理! こんなめそめそした王子なんて、示しがつかないだろ!」
顔を手で覆ってぶんぶん頭を振った。あら女の子らしい。
責任感が人一倍強いのは、時雨の長所なんだけど。後輩に慕われるのも、先輩抜かして部長になって認められるのも、この性格あってこそなんだけど。
「ギャップ萌えっていうじゃん。しかも幼馴染みなんだから有利だって」
「誰が男子より足速かったり強かったりする奴に萌えるんだよ……あいつ、あたしが中一の時に助っ人で男子の大会に行って、三年生ボコボコにしたの覚えてた……」
「そんなことあったんだ」
「夏くらい他人に無頓着だったらよかったのに」
それはそれで悩みそうだな、時雨。
彼女はまた壁に貼りついた。さすがにもう頭をぶつけるのは止めた方がいいと思う。ヒビ入るよ、時雨じゃない方に。
「いまさら意識してるのあたしだけじゃんかあああ……」
「初めて聞いた時びっくりしたけどさ」
「ほら! やっぱりドン引きじゃん!」
「そういう意味じゃなくて。愛士のどこがよかったのさ」
時雨は一瞬にして茹で上がった。教室に戻るまでに直るかな。
「ど、どこって、え、そんな……人のことよく見てる、し、悪く言わないし、面倒見も良い、し……」
以下、優しいとか、かっこいいとか甘酸っぱい理由がずらずら続いた。
ここで、自分を女の子扱いするからって言わないあたり、時雨も人のことよく見てると思う。愛士も、こんなにちゃんと好きでいてくれる子がいるのに……いや、あいつはしょうがないか。
□■□
なんとか顔色と気力が戻った時雨と、教室へ帰った。
愛士と鳴海はまだ喋っていて、二人のまわりだけ聖なるなんかのように眩しい。アイドル自分の席行けよ。お前が座ってる席の秦さんがすげえ見てるぞ。私もあの空間に入るの嫌だわ。
時雨に愚痴をこぼそうとしたが、彼女の横顔にそんなこと言えなかった。
「……時雨」
「なんか……お似合いだな」
彼女に倣って生きる美術品へ目を向ける。
鳴海は澄んだ翡翠の瞳を細め、くすくすと口元に手をかざす。愛士が、丁寧にケアされた爪先に気付き、彼らしく褒めたのだろう。鳴海ははにかんで……。
「落ち着け、あいつら男同士だから」
なぜか時雨を慰めそうになってしまった。やっぱり我が校のアイドルは魔性だ。
これにライバルとかいなくてよかった。さらにごちゃごちゃするとか勘弁してほしい。愛士はみんなのものみたいな雰囲気あるし、転校生でもない限りそんな心配は……。
「はーいお前ら座れー座れー」
あ、先生来ちゃった。みんなでぼちぼち着席する。
「座れっつってんだろ猿共! 特に高梨ぃ! 提出物まだなのお前だけだからな!」
「え!? 締め切りいつでしたっけ!?」
「一昨日だこのメガネ猿!」
耕太郎のせいでみんなが猿呼ばわりされた。写させてって視線を愛士へ送ってたので、教科書で遮ってみた。
あれ、愛士の後ろに机が用意されている。さっきまでなかったのに。
「今日は転校生を紹介するぞー」
マジか。勘が当たってびっくり、そして入って来た転校生で二度びっくりした。
「三宝院 撫子と申します。ふつつか者ですが宜しくお願い致します」
貴族が来た。
王冠とか被っててもおかしくない美少女に、教室が騒然となる。鳴海レベルだ。あいつがアイドル系だとしたら、彼女は姫系。しかもガチの。
三宝院さんはウェービーな金色の長い髪に、茶色のくりっとした目をしていて、少し日本人離れした顔立ちだった。
「席はそこな。雪村の後ろ」
三宝院さんが私の側を通るとなんかいい匂いがした。
愛士の後ろの席は隣がなく、必然的に前へ話しかけることになる。
「宜しくお願い致します、雪村君」
「こちらこそ、三宝院さん」
横を向きたくない。もの凄いきらきらしてる。鳴海と愛士ならふわふわお花畑系の雰囲気なのに、三宝院さんだとシャンデリアが見える。クラシックが聞こえる。幻覚だけど。
反対側へ目を逸らすと、どんよりした紺色のオーラを発見してしまった。